2016年4月アーカイブ

2016年4月24日 大会当日のお話です。

前日受付をし、
当日はJR始発で大阪城公園駅へ。
ちょっとトイレによってから小走りで会場へ向かう。

実は寝坊しました。
目覚ましのセットをしたつもりが、設定をONにしていなくて、予定より17分遅れで起きました。

駅から小走りで会場へ。
例年通りゼッケンもついてるし、着替えも済ませてある。
荷物を預けるだけの状態。

荷物を預けたらスタート5分ぐらい前。
すぐにヨリタさん発見。ヨリタさんと裸足の記念撮影をする。
イシクラさんも発見。

カウントダウン。みんなで万歳してスタート。

去年のブログをみたら、スタートから裸足で行くと書いてあったので、今年はそうしてみました。
でも結果として間違いでした。
大阪城公園内はそこそこ厳しい路面が多くて、足裏を消耗してしまったようです。

大阪城をでるかでないかぐらいで女性の方とおしゃべりしました。
京都の人で、しかも前に私のランニングコースでであっている様でした。
大まかに言うと住んでる場所も近くって、ここまで阪急で来たとかJRで来たとか、いろんなお話をしました。
大阪城をでると、歩道橋や橋で歩かないと行けない区間があって、そこでもずっとぺちゃくちゃしゃべりながら行きました。結局、毛馬にでるまでぐらいお話ししてたので、15kmがあっという間に済んでしまいました。

私は今回、スピードを抑えた走りを意識したのですが、なんか間違ってたようです。
べたべた走りになっていて、腰に負担がかかっていました。
キロ7分〜7分半ぐらいの予定通りのペースで進んでいました。
なんか走ってるのかなんなのかよくわからないフォームでした。
小走りみたいな感じかな?

ワラーチの左足の紐が若干きつくて、なんか甲が痛くて調子悪い。だけど、足裏がなんとなくひりひりする様で、脱いだ感じもいまいち。

23kmぐらいで、なんとなくこれではあかんという気持ちになり、
走り出しました。

キロ6分半前後で10kmぐらい走りました。

走ってみてわかった違いは、重心が後ろ過ぎたと言う事。
後ろに体重ががんがん乗っかって腰に負担が来ていたようです。
普通に走ると逆に楽に走れました。
特に上半身のバネを意識して使うと足の負担がずっと少なくなった感じがします。

遠かった枚方の折り返し地点を予定より15分遅れぐらいで通過し、
ふぅさんエイドで秘密のドリンクを頂きました。

ちょっと暑すぎたからか、あまり調子が改善されませんでした。
でも70kmの部はもう川を下るだけ。まぁ、途中までまた折り返すけれど。

40kmは予定の5時間を19分遅れで通過。

豊里だったかどこかのエイドで苺があったので、一つ頂くとめっちゃ美味しかったです。
どうしても手が止まらなくて結局10個ぐらい食べちゃったかも。ごめんなさい。

豊里を過ぎたら同じ70kmの部門のももちゃんやしんこさんとすれ違う。
もう既に1時間ぐらいは引き離されている。
今日はタイム更新は最初から諦めていたもののなんとなく寂しい気持ちでとぼとぼと進む。
だんだん足も固まってきて止まると動けなくなるのでとにかくゆっくりでも進む。
これはやっぱりウルトラでは良くある事。少しでも進んでいるとだんだん走れるから。


ぐだぐだの状態でなんとか毛馬にたどり着くと、そこに応援の友達が来ていました。
来ないと思ってがっがりしていたから、めっちゃ嬉しかったです。
お汁粉をいただいて、もう一度豊里を目指す。
さっきまで足が痛くて走れなかったのが、なんでか嘘みたいにまた軽くなって駆け出しました。

今年も応援のこばやんとタッチ。手が冷たくて気持ちよかった。こばやん枚方にもいたけどどっから走ってきたんやろ?
だいたいタッチする人の手はみんなひんやりと冷たい。
私の手はなぜかずっと暑かったです。

2回目の豊里で、スタッフの皆さんにサヨナラを言って、清々しい気分で折り返しました。
そこからが割と長く、足も言う事を聞いてくれなくなりました。
なるべく頑張ろう。
橋毎にペットボトルに入れたお茶を飲んで休憩。

なんとか毛馬にたどり着き、もう何も欲しくなくって、お茶をペットボトルに入れ、サヨナラだけを言ってエイドを後にしました。あと7キロぐらいという言葉を励みにして。
私のミニコンピュータではあと1時間以内に帰れたらかろうじて9時間台。
キロ8分か。
歩いて走って。
トイレに寄ってしばらく歩いていたところ、振り向くと無敵の隊長さんがやってくる。さすが速い!サブテン間違い無し!このまま爆走して欲しいと声援を送りました。
私もちんたらしてられない。そう思ってまた走り出します。

ようやく大阪城にたどり着き、ぼろぼろでゴールしました。

9時間50分49秒

去年より50分ぐらい遅いです。
できれば10時間以内と思っていたので、ちょっとは救いでした。
やっぱり私はもっと頑張らなくちゃダメ。
出来るだけ累積距離を短く濃くという作戦は向いてないかもしれない。
今後、気合い入れて取り組みます。

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ゼッケン777の人。去年干しうめをくれた人、いつも声をかけてくれる女の人、ワラーチの人、VFFの人、着ぐるみの人、いつも沿道で応援してくれる人、色んな人とお話ししたりエールを交換したり。みんなで走っている感じがしました。いつも覚えていてくださって声をかけてもらえるのはすごく嬉しいです。元気が出てきます。
この大会がきっかけでなかよくなった何人かの人たち。今年も変わらず再会を果たせました。


今回は3人の人にお名前を聞きました。
松本さんと井上さんとハシヅメさん。
井上さんは各大会で何度かお話ししたので良く知っています。
ハシヅメさんは名前を聞いたのに、どの人に聞いたんだったか忘れてしまいました。
とほほ。

大体は聞いても忘れてしまうんですよね。
今回は確実に2名覚えました。

また来年あいましょうね。

いよいよ明日、大好きな水都ウルトラです。
前日受付に行ってきましたよ。

毎年パンフレットには前年度の参加者の写真がたくさん掲載されています。
自分や友達が写っていないかチェック!
これも一つの楽しみですよね〜♪

ありました。去年のスタート直後の写真。私が右端に写ってた。
Scan-218.jpg


去年のブログを参考に、
特に頭を使わず、去年通りに走ろうと思っています。

去年のブログ

天候は晴れ。暑くなるかもしれませんね!

服装も去年と同じで行きますよ。
ブログに残しておくと便利ですね。

--------
リュック
空のペットボトル
念のためのお金
念のためのスマホ
ワラーチ
ポケットティッシュ
靴擦れ用にカットしたテープ←いらんかな。
ガーミン110を2個(40kmで交換)←ガーミン一個壊れたので時計モードで行くよ。
麦わら帽
短パン
Tシャツ
バンダナ
--------

ペースは去年より落として、最初の10kmは7分〜7分半で。
その後も7分前後で。6分切らない様に注意して進む。

40kmまで5時間前後で到着し、残りの30kmを4時間で進む。

以上。

欲張らず、無理をせず、無事ゴールする事。

それと、今年はスタートから毛馬までは裸足で行きます。それ以降はその時の感じで適当に脱いだり履いたり。
今年もよりたさんが100kmの部を裸足で走るらしいので、私もできればオール裸足で行けたらなぁと考え中。
ちなみによりたさん、先週フルを裸足で走ったところです。

水都メンバーとの1年ぶりの再会を楽しみに、今夜は早く寝ます。
では明日、あいましょう!!

今回、私個人的には無念のリタイアをしてしまいました。

ただ、前から知りたかった、サブスリーレベルでの足裏の状態については、判明しました。

結論は、サブスリーでも足裏は無傷だと言う事です。

これで私の知りたい欲求は完全に満たされました。

これからもずっと、なんの不安も無く、当たり前に裸足で走って行けそうです。
裸足で走る事は、特別な事ではなく、きわめて自然で普通なのだと確信できました。
60人近くの人が裸足になってフルマラソンをほぼ無償でゴールしたのですから。

ちなみに裸足のサブスリーの人は3名でした。
1つの大会で裸足の人が3人もサブスリーをするなんて一昔前では考えられなかった事です。でも、裸足で走る事は本当に自然な普通の事なので、普通の割合でサブスリーが出たんですね。

当日の話。

当日は同じスタートエリアに裸足仲間が7人ほどいました。
トイレに行ったりで、私のところには3人でした。
そのうちのお1人が今回初めてフルマラソンに参加すると言う事でした。
彼は時計を持っていませんでしたし、初マラソン初裸足なので慎重に私の後ろをついて走っていました。
ちょっとした責任感を感じつつ、だいたい10kmぐらいまでは5分50秒ペースで刻んでいきました。10kmを越えて彼は一旦トイレ離脱し、その後また追いついてきてちょうど私の速度も落ちてきた為、先行されました。
彼は、たしか4時間20分ぐらいで足裏無傷でみごと初フル初裸足を完走されました。
そんな場面にお付き合いできてとっても楽しかったです。

10数キロ地点でおいていかれた私は、6分半ぐらいまで速度を落とし、完走を目指していました。

予定では3時頃から雨が降るはずだったので、最後の10kmを我慢すれば良いだけのつもりでした。
が、無情にも早い時間から雨が降り出したのです。
私は福知山マラソンの時と同じ服装で参加していたので、背中も肩甲骨丸出し状態でした。短パンにはさんでいたゴミ袋も凄く小さいもので、雨を遮るのには十分ではありませんでした。

徐々に身体は冷やされていき、手足が硬直してきました。

この日は記念に残る日。私のせいで完走率を下げたくない。そう思って1時間ほどねばったのですが、もう足が固まってしまいました。

35.7km地点だったので、後少し頑張ればよかったのかもしれません。
走りつづけていたら、低体温症で倒れていたかもしれません。
毛布にくるまって収容車にのり、外を眺めると、雨が上がり日が照り始めました。
今日に限ってリタイアなんて…

悲しい気持ちでいっぱいで、だけど歯がガチガチなって、長い間震えが止まりませんでした。
収容車に同乗した人と一緒に荷物預かりのところへ移動しました。
一人では心細かったので、親切に案内していただき、本当にありがたかったです。
名前も聞いたのですが失念しました。たしか私と同じ漢字1文字の方だったと思います。
1文字だから林さんか森さんかな。関東の方です。
ありがとうございました。

裸足の集合場所に行くと、わぁ〜と声援で迎えられましたが、がっかりさせてしまいました。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

帰りの電車で来月の飯能に出る人と偶然知り合いました。
運命かもしれないと思ってエントリーを考えました。

一晩冷静になって考えたところ、やはり遠いし今回のリタイアの重みをしばらく背負って過ごした方が良い様な気がしてきて。調子に乗りすぎていた私には。
これからの大会エントリーは慎重に、もっと気持ちを込めて取り組もうと思ったので、今回は残念ながら飯能はエントリーしない事にしました。

またいつの日かきっと裸足の人たちに会えると思います。
これからは各地域でももっと裸足の人が増えるだろうし、そうなれば裸足選手権も関西でも開催していただけるようお願いします。

色んな事を考えた2日間でした。
裸足ランの探求についてはこれで一旦終了です。
そして裸足の普及活動についても、これだけの人数がそれぞれ動いているんだから、もう私一人目立とうとして必死になる事も無いし、すごく肩の荷が下りた気がします。

これからはやりたい事をやりながら、自分のペースで自分の裸足ランに取り組んでいく事にします。


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